プロフィール

「tetu official blog」にご訪問いただき、ありがとうございます。

 

始めまして、tetsuと申します。

 

私は1970年生まれ、福岡県在住の2児の父親。

ギターが好きで、愛機はギブソン・レスポール。

 

会社で管理職として働きながら、2016年にブログで収入を得る、個人のビジネスを展開しています。

 

私は、昔から自分で体験しないと気がすまない性格で、何もしないまま諦めることが嫌いなんです。

 

だから、やると決めたらとことんやる。

そんな人生を歩んできました。

 

例えば、中学生から始めたエレキギター。


学校から帰ってから勉強もろくにせず、毎日6時間以上も練習していました。


指の皮が剥けて血が出ても辞めず、
終いにはギターをお腹に乗せたまま、眠ってしまうこともあったりして、
親からは「いい加減にしろっ」って怒られていたくらいです。笑

 

ヘヴィーメタルと言うサウンドに心を奪われ、ギターで飯を食って行くと言う夢を持ち、親の反対も聞かず高校を2年で中退

 

そして、無謀にもギター1本片手に上京しました。

案の定、見事に失敗しましたけどね。

 

また、20代の頃はバイクに明け暮れ、
本格的にサーキットを走るレーサーをしていた事もあります。

 

「やりたいことはやってみる」という想いで、若い頃から無茶をしてきた私ですが、
この性格ばかりは年をとった今でも変わっていません。

 

今やってるブログで収入を得る、
個人のビジネスを始めた時もやっぱり同じ。

 

その甲斐あって、
今では月に15万円以上の収入が入ることもあり、今も収入が育ち続けています。

2018 年9月アドセンス報酬 20189月アマゾン報酬

20189月楽天報酬2018年9月の実績ですが、これはほんの一例です。

 

ただ、私は金額の事よりも
自分一人の力で1円でも稼げるようになった
ことの方が嬉しいし、価値があると思っています。

男として生まれ、
やりたい事をやって結果は残した。

 

そんな気分です。

 

こんなことを言うと、「tetsuさんには特別な才能があったからだろう?」
なんて、思うかもしれませんね。

 

すでにお伝えした通り、
私は学校もちゃんと行ってないし、
勉強するようになったのも「ブログ」で稼げるようになった後から。

 

どちらかと言えば、センスのかけらもない側の人間です。

 

諦めさえしなければきっと、誰でも私のような生活を遅れるようになります。

 

これから、私のストーリーを読んで頂ければ、
あなたも自分の意志で生きる事ができるし、
ブログで収入を得ることが簡単だとわかってもらえるでしょう。

  • 会社の上司とうまく行っていない人
  • 仕事ばかりで自分らしい生き方ではないと思ってる人
  • 在宅で仕事をして大きく稼ぎたい人
  • 家族の幸せを願う、お父さんやお母さん

こんな人に、ぜひ読んでほしいです。

会社辞めたい・・・けど何していいかわからない

社会に出て30年。

私は、若い頃から無茶な事をやりながら
き勝手やって来ましたから、
自分の意志に従った生き方をしてきたし、
これからもずっとそんな生き方をして行きたいと思っていました。

 

しかし、周りの友達が進学や就職をしていくと、何だか取り残されたような気持ちになり、
上手く言葉にはできませんが、
寂しさを感じるようになったんです。

そのまま自分の信念を貫き通せば良かったのかもしれませんが、
周りの環境に流されサラリーマンとしての道を選びます。

 

しかし、自分の意志に反した事をした結果、
働くことは私にとって苦痛でしかありませんでした。

 

入った会社がまずかったという事もあったのですが、真面目に働いても給料はバイトの頃と対して変わらないし、
休みは2週間に一回しかないような状態。

 

さらに、残業も月に130時間を超えるような事があっても、
手当は20時間までしか出ず、残りはカットされました。

 

つまり、ただ働きです。

 

仕事が大変なのは、先輩たちの姿を見ていてわかっていましたし、
私だけが特に忙しいわけではなかったから、愚痴を吐くのは良くないと思っていました。

 

しかし、ずっとそんな環境耐えるのは無理な話です。

 

ついに上司へ仕事への不満を吐き出してしまいました。

休みが少ないこと。

残業手当がカットされること。

38度も熱があっも休めなかったこと。

 

周りから見ても、普段の私ではない剣幕だったみたいで、
後から先輩と同僚が私の所へ来て心配してくれてました。

 

上司も始めはびっくりした表情をしていましたが「お客がいるんだから待たせる訳にはいかないだろう?」とか「自分だけが辛い思いをしていると思うなっ」っと、あっさり・・・

 

まっ、口達者な上司でしたから、
口で勝とうなんて考えを思っていた私も無謀でしたけど。

 

私にはそれ以上、上司へ対抗する言葉が見つかりません。

 

この時ばかりは悔しかったし、
好きな仕事が嫌いになる瞬間でもありました。

 

そして私は、会社を辞める決意をします。

 

こんな事をずっとやっていたら、身が持たないし、給料も上がらないからやりたい事もずっとガマンしなければならない。

 

そして私は会社を辞める事をきっかに、
好きだった業界からも離れ、
二度と戻ることはしませんでした。

 

これで良いんだと。自分に言い聞かせながら。

 

その後、職を転々としましたが、どこもかしこも自分が求める職場なんてありませんでした。

 

結局、サラリーマンをやっていては、
自分の生きたいように生きるなんて事は出来ないし、
誰かに相談したところで笑われるに決まっているだろう。

 

もう30代だし・・・

 

 

私はこれから先、やりたい事をガマンしなければならない自分の人生を想像し、
悲観するようになりました。

父親の苦労を知る

定職につけないまま30代になった私ですが、
ご縁もあり結婚をし2人の子供にも恵まれました。

 

さすがに家庭を持つと、若い頃のようにはいきません。

 

自分の気まぐれで転職をするわけにもいかないし、それからは家庭の為に出世する努力もするようになりました。

 

私は、模範的な父親になろうと決意したのです。

その決意の証として、独身時代から一生懸命貯金してきた通帳をすべて妻に渡しました。

 

やっぱり余計なお金を持っていると、
何かと誘惑に負けそうだし、
若いときにやりたい放題やってきたから、
もう落ち着いても良いだろうと思ったのです。

 

そして私は、よくテレビドラマで見るようなシーンを思い浮かべ、
どんどん理想の父親像を膨らませて行きます。

 

生まれたばかりの赤ちゃんを、
父親が抱っこして喜んでるシーン。

 

子供と一緒に遊びながら走ってるシーン。

 

家族みんなで散歩するシーン。

 

そして私は、家族を中心とした生活を送るようになりました。

 

子供をお風呂に入れたり、
遊んで寝かしつけたりすることもしますし、
夜中に熱を出したりすれば、
24時間受け付けてる病院へ連れて行くこともあります。

 

もちろん休の日は、家族サービスは欠かさずやるのが父親としての役目だと思っています。

 

子供が喜ぶ場所へ連れて行きたいから、
公園へいったり、電車を見にいったたり。

 

更に掃除や洗濯などにも性を出し、
妻の買い物に付きい荷物持ちをしたり、
一緒に子供の服を選んだり、

忙しくも充実した日々をを過ごすことで、
家族の幸せそうな姿を見るのが何よりの喜びになりました。

 

しかし家庭を持つことは、
最初に
自分が描いたような生易しいものでなかったです

 

一番大変なのが、仕事と家庭の両立でした。

 

子供との約束事や学校の行事を優先すれば、
仕事を休んだり残業時間を削る必要があります。


そうなると、家庭へ経済的影響がでますし、
仕事も滞ってしまうから、会社にも迷惑をかけてしまうこともありました。

 

仕事はそう休めないけど、子供のことには関与したい。

いろんな葛藤がありましたが、身体は1つしかないからどちらも得ようとするのやっぱ無理です。

 

そして、自分のやりたい事は後回しにしてもいいと思ってはいたものの、
部屋にあるホコリを被ったギターケースに目が止まってしまうと、何だか悲しい気持ちになることもありました。

 

でも、家族を放って自分のやりたい事をする気にもなれなかったし、
結婚した年齢が遅かった私にとって、
妻や子供と一緒に過ごせる時間は短いと思っています。

 

だから本当に自分の好きなことや欲しいものは、子供が巣立って時間とお金に余裕ができたらやればいいと思うようになり、
今は家族を幸せにする事だけを考えるようになりました。

 

そして会社で定年まで働いていれば、
きっと家族の幸せは保たれる事を信じて仕事をしていました。

会社に依存症するしかった現実

家族の幸せを守る事が今の自分の使命。
考えを改めた私は、職を転々としていた頃とは見違えるほど仕事に没頭していました。

 

しかし、2015年11月17日私の人生に予想もしてなかったことが起こります。

 

重量物を扱う事が多い私の仕事は、
体力は必須条件ですが、
長年の経験で鍛えたこともあって、それなりの自身はありました。

 

いつもの常連さんの所へ荷物を預かりに、
部下を連れて現場向かいます。

 

現場に到着した私と部下は、
いつもの数倍ある荷物の多さと、
見た目でで35kgはあろうかと言う重さ
「ひえ~っ」
と声を出し、驚きながらも仕事を始めました。

 

体力自慢の私も、さすがに息を切さず作業するのは困難でしたが
若い者には負けられん」上司としてのプライドを見せつけながら作業を続けて行きます。

 

しかし作業が終わりに近づいたその時、
私は強烈な痛みを腰に受ると同時に、
そのまま立てなくなりました。

その様子を見ていた部下は、
がっちり系の私を抱える事はできず、
会社から応援を呼び、そのまま病院送りになります。

 

そして病院で待たされている間、
咳をするだけでも激痛が走り、
体の向きさえ変えることさえも出来ません。


1時間が経つ頃、ようやく名前を呼ばれ
看護師さんに両脇を抱えられ診察室へ行きました。

 

さらに診断の結果を待つ間の時間は、
まるで拷問のように感じ。

ようやく先生から呼ばれたと思ったら、
特に骨には異常はなく、腰の捻挫だろうとあっけない診断がでます。

 

要は、ギックリ腰ってことです。

 

それから、数日たっても痛みが治まらず、
もう一度診察受けると、
市内にある大学病院へ行くよ言われ紹介状が出されました。

 

紹介された大学病院は、
私の住む地域ではとても有名な病院で、
国内屈指の設備が整う病院だから数時間待たされることは覚悟しなければなりません。

 

そして診察の当日、
腰の痛みに耐えながらMRIと言う大掛かりな装置に寝せられまま30分。

 

診断の結果は「腰部脊柱管狭窄症」
(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)
と聞いた事もない症状で、要は椎間板が変形していて神経を圧迫しているとのこと。

 

しかし、治療の方法は手術か薬を使って安静にしてるかの二択しかなくて、
病院の先生から勧められたのは、
感染症のリスクがある手術ではなく、
薬を使った安静療法でした。

 

医療知識のない私は、医者の言うことに従い薬と安静で治療する方を選びます。

 

そして治療に専念するため療養に入るのですが、会社を休めると言う喜びが一瞬だけあった事は事実。

しかし、自宅療養を余儀なくされた事実を受け止めると、妻と子供をどうやって守っていこうか。
自分の人生はどうなるのだろうか。
そんな不安が過り始めました。

 

そして、仕事に不満があって辞めたいと思っても、現実問題として家族を養えてるのは、今の会社で働いているからこそ成り立っています。

だからサラリーマンしかやったことがない私には、仕事が出来なくなると自分一人では何もできません。

 

誰かに雇われないと、家族すら守れないこの人生。

本当に自分は情けないと思いながら、治療に専念することになりました。

自宅を仕事場にすると言うアイデア

自宅で療養の日々を過ごす事になった私は、始めの2日ほど起き上がる事が出来ず、久しぶりに朝寝坊をしたような気がします。

 

子供たちにとっても、平日の朝はお父さんは仕事に言っている時間ですから、今日は休みなの?って不思議そうな顔をしていました。

 

午前8時を過ぎるころ、妻は職場へ、子供たちは保育園や学校へ行きます。

寝たままの私は「いってらっしゃ~い」と口先だけでお見送りするしかありません。

 

家族が出かけたあと、シ~ンと静まり返った部屋でボーッとしていると、不安な気持ちがこみ上げてきました。

 

このまま、ずっと立てなかったらどうしよう。

今の仕事は辞めて、事務系の仕事に転職した方がいいのだろうか。

家でも出来る仕事をしたほうが良いのだろうか。

 

しかしそれだと、今の収入を維持できないから、きっと妻に負担を掛けることになる。

 

それに、毎日数字を見るような事務系の仕事は苦手だし、その前に未経験で40代後半のおっさんなんて雇ってくれるわけないだろう。

しかも、また職を変わるのが嫌でした。

 

考えれば考えるほど、ネガティブな事ばかりしか浮かんで来ない中、たった1つだけ良かったと思える事がありました。

 

「だたいま~っ」

 

玄関の方から、幼稚園や学校から帰って来た子供の声が聴こえると、私は反射的に「おかえり」と言って挙げれたのです。

 

何だ、そんな他愛もないことか!っと思うかもしれませんが、母子家庭だった私からすると、学校から帰っても親はいないのが当たり前でしたから、子供が帰ってきて「おかえり」と言ってあげられることが嬉しかったです。

 

それに、まだ夕方なのに妻や子供と過ごしてると言う休日のような感覚がすごく好きで、こんな日が毎日続けばいいのになって、おもちゃで遊ぶ子供たちを見つめながらそう思っていました。

 

そこで、自宅を仕事場にしてしまえば良いと思い付いたのですが、在宅の仕事って私が小学生のころ母親がやっていた内職しか思い浮かびません。

 

母親がやっていた内職は、1つ物を作っても5円しかもらえないと聞いていたので、それでは家族は養って行けないと、一瞬ワクワクした気持ちはまた現実へと引き戻されました。

 

でも、せっかくいいアイデアを思いつき、居ても立ってもいられなくなった私は、腰の痛みをがまんしながら、パソコンのある部屋へ移動しインターネットで検索を始めます。

 

そして「自宅で出来る仕事」と検索をしていたら「パソコン1台あれば、自宅でお金を稼ぐことができる」なんてこと言ってるサイトを発見してしまったのです。

 

なんじゃこりゃ?っと思いながらも一応見てみることにしました。

 

そこに書かれていたものは、「パソコン1台でお金を稼ぎ自由な生活をしてる」と言う何とも夢のある話で、しかも誰でもできるとも言ってるではありませんか。

 

私はその瞬間、中学生のころに始めて生バンドのライブを見たときと同じような、あの身震いする感情を覚えました。

 

これで、お金を稼ぐことができれば最高じゃん!

 

お先真っ暗だった私ですが、この時ばかりはご来光を見たような気分でした。

 

やってみたい。これは絶対にやってみたい。

 

それからは、何をどのように調べて行ったのか覚えていませんが、パソコン1台あればどこにいてもお金を稼げると言ってる人が他にもいたのです。

 

その人たちは、ノマドワーカー」と呼ばれ、インタネットでアフィリエイトと言う事をしてる事がわかりました。

 

「やってみよう」とにかくやるしかない。

 

そう思った私は、「ノマドワーカー」の世界へ足を踏みれたのです。

妻に内緒でヘソクリを使うタイミング

「ノマドワーカー」と言う人達が、パソコン1台でお金を稼いでいる「アフィリエイト」って、どうやってやれば良いのか調べまくります。

 

よく言われていたのは、独学よりも誰かに習ったほうが結果は早いし、無駄な時間を使わなくて済むと。

 

誰かに習う1つの方法として「教材」があることを知りますが、それをどうやって購入しようかと悩みました。

 

すでにお伝えしたように、私の通帳は結婚するときすべて妻に渡しています。

 

妻にはいろいろと心配させているから、教材を買うお金のことを相談することはできないし、かと言って借金するわけにも行かない。

何かいらないのを売ることも考えました。

 

しかし、大事なギターを手放す事は絶対に避けたい。

 

そうして悩んでいるうちに、私には何かあったときの為に少しずつ貯めていた「ヘソクリ」と言う最終兵器があることを思い出します。

何かあった時って今だろうと判断した私は、そのヘソクリを使って教材を購入しました。

 

教材を購入した私は、すでにお金を稼ぐことができたかのような気分だったのですが、ここからが本番です。

 

その教材が教えていることを、毎日欠かさず勉強しながら半年ほど続け、やっと待望の収益が発生しました。

 

50円。

 

おおっっ!

 

自分の力でお金を稼いだと感動したのです。

 

しかし、たった50円では自動販売機でジュースすらかえません。

 

それ移行50円から増えることはありませんでした。

そんな状況の中私は、教材選びに失敗したと思って、また違う教材を買おと思いました。

 

しかし、ヘソクリは半分以下になってしまったから、そんな余裕はありません。

 

最初買った教材を何度も見直し実践しますが、一行に変わる気配はありませんでした。

 

さすがの私も、心が折れます。

 

やっぱり、ブログなんかでお金を稼ぐなんて自分には向いていなかった・・・

さっさと腰を直して、元の生活に戻れるようにしようっと。

 

パソコン1台を使って、自宅でお金を稼ぐ私の夢は途絶えていまい、その後PCの電源が入ることはありませんでした。

人生が180度変わった仲間たちとの出会い

自宅のパソコンに電気が流れない日が続きました。

しかし、どうしてもやり遂げることができなかった事が悔しくて、再びブログを書くようになりましたが結果は同じです。

 

一から勉強し直そうと、いろんな情報をかき集めますが、やっぱり稼げるようになるには、誰かの指導を受けることが最短だと言うことが出てきます。

私は、決めました。

 

自分の人生を180度変えてくれそうな、メンターを見つけよう。

 

YouTubeで、動画を公表している人なら声も聞けるし、どんな人なのかもわかると思い必死に探しました。

 

そして、ある人にであったのです。

その人こそ、私を成功へと導いてくれた現在のメンター。

 

しかしメンターと出会ってから、習うようになるまで相当な時間が必要でした。

本当に大丈夫かなっと。

 

だって、インターネットを通じて見ているだけで、実際にあったこともなければ、しゃべったこともない。

 

相手は自分のこと知らないわけだから、何だか怖いっと思っていました。

 

こんな感じで、かなりの葛藤が続きます。

 

そしてある日、現在のメンターが発行する「メルマガ」が送られてきて、期間限定で無料コンサルをするという事を知りました。

このチャンスを逃す手はないと、早速申し込みをするし、日時を決める返信が届きます。

ほんと、返事が来た!

最初は驚きましたが、いよいよメンターとskypeで話す日がやってきました。。

 

最初に話をした印象は、動画と同じ声だな~なんてくだらないもの。

 

しかしその内容は濃く、私のサイトのどこに問題があるのか、と言ったことまでアドバイスを貰うことができました。

 

残念な事に、緊張しすぎて何を教えてもらったのかあまり覚えていませんが、一つだけ言えることは、この人ならきっと自分の事を引き上げてくれると感じたことです。

 

根拠を説明するのは難しいですが、まっ!40数年間生きてきた人間の直感っとやつですかね。

 

そして2017年12月に、メンターが運営するビジネスコミュニティーに参加した私は、直接指導を受けるようになります。

 

メンターから習うことは、驚くことばかり。

今までネット上にある情報をかき集め、我流でやってきた私の知識では、到底お金を稼ぐことなんて無理だと言うことを思い知らされたのです。

 

間違った知識を持ったいた私は、メンターから言われる事が中々理解できず、かなり苦労をさせてしまったなっと思います。

 

そして、ついに結果を出す時がきました。

メンターからの指導を受けつようなってから、たった3ヶ月で12万円と言う結果を出します。

 

それと同時に、いつか見た「ノマドワーカー」がいっていた事は本当だったと実感し感動しました。

 

私がメンターと出会い得たものは、お金だけではありません。

 

メンターが運営するビジネスコミュニティーには、私のようにブログを使ってお金を稼ぐ事を学ぶ人たちが日本全国から集まっています。

始めは、インターネットビジネスをやってる人って、いつもスーツを着て頭が良さそうな人ばかりだと思っていましたし、話かけることなんて絶対にできなと言うイメージでした。

 

ですが、そんなイメージとは全く違った人たちばかり。

 

自営業を営む私と同年代の男性。

現役大学生。

世界を駆け回る歌手。

子育て中の主婦。

仕事ばかりして、家族に心配をかけていた新婚さんのご主人。

 

私と同じような悩みを抱えている人もいれば、もっと厳しい環境で頑張っている人も大勢います。

やっぱり共通の目的と志を持った人たちが集まるから、みんなやる気に満ちてエネルギッシュ。

 

年に数回、メンターと直接会ってコミュニティーのメンバーたちと一緒にセミナーを受けます。

 

仲間がいることで、刺激になることが沢山あり、自分は努力が足りていないとか、そんな考え方もあるんだっとか学ぶことが多くなりました。

 

時は、美味しいお酒を明け方まで飲んだり、他愛もない話題で盛り上がったりとすることもあります。

 

今では沢山の仲間が結果を出してることが、嬉しくてたまりません。

 

私もこんな風に、人の人生を変えるような出会いの場を提供したり、人生を変える術を伝えていきたいっと思い、コンサルタントとして活動をすることを決心しました。

自分の意志に従った人生を生きる

「ブログ」にであってから、一番変わったと思えるのは気持ちの問題です。

私は、自分に自信が持てるようになりました。

 

会社からもらう給料だけに頼らず、自分の力だけで稼ぐ事ができるから、会社を辞めようと思えばいつでもできます。

 

本業があるから、一日に2時間ほどしかブログを書く時間がありませんでしたが、月に15万以上のお金を稼ぎ出すことはできました。

 

だから、ブログを本業にすれば、間違いなく月に30万~40万円を稼げることは出来るとでしょう。

 

そのくらいの気持ちになれると、会社で起こる些細な問題は気にしなくなりました。

 

そんな気持ちになってからは、苦手な上司との付き合い方も変わったと思います。

だから、今では会社に行くものストレスフリーです。

 

そして、毎月お金のことで頭を抱えていた生活も180度変わり、たまに家族4人で美味しいものを食べにいったりしているし、子供にも好きなおもちゃを買ってあげられるようになりました。

 

ブログと出会った事で今の私は、若い頃のように自分の意志で生きれるようになれたと思っています。

 

私は今、ブログで収入を得る個人ビジネスを、さらに大きなビジネスへ発展させる活動を始めています。

 

こんな私でも、人生を180度変えることができました。

 

自分の人生に制限をかけてるお父さんやお母さん達にも、ぜひ自分の意志に従った人生を送ってもらいたいと思っています。

 

今後「tetsu Official Blog」では自分の意志に従った人生を送れる役立つ情報を発信していきますので、楽しみにしていてくださいね。